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ここはデロリアンの歴史についてのお話です.

会社創立

DeLorean Motor Cars

今から約30年前の話.当時GMの副社長をしていたのがジョン・Z・デロリアン氏でした.彼が自分の自動車会社を持とうとしたのがその頃でした.「GMをクビにした男」とまで言わせて,デロリアン氏はGMを辞任しました.そして1978年に作ったのがDMC(DeLorean Motor Cars)です.当時イギリスは北アイルランドへの企業誘致に熱心だったので,その力を借りて北アイルランドの都市ベルファストの郊外,ダンマリーに自動車工場を作ったのです.

デロリアン誕生

DeLorean from panphlet

工場の建設と同時に進められていたのが記念すべき最初の販売車のデザインです.それが通称デロリアン,正式名称はDMC-12でした."12" にこめられた意味はいろいろあるらしいのですが,ちょうど同時期に12000ドルのコルベットを売っていてそれに対抗したという話もあります.構造設計はロータス社が行いました.この車にかかりっきりの時期があったため,自社の車を開発できず,会社が傾いたといわれるほどロータス社がこのプロジェクトに絡んでいます.車を印象付ける外装を担当したのはイタルデザインのジュージアロでした.そのおかげでデザインは25年たった今でも見劣りしないものになっています.外装デザインで目を引くのは,ボディーのステンレスパネルと鳥の翼のごとく扉が上に開くガルウイングドアです.こうして1981年モデルから販売を開始しました.当初の販売価格は25000ドルでした.

デロリアンの生産

DeLorean Meeting

生産初年度,つまり1981年には6500台あまりの車が生産されました.当初のオプションとしては5速MTまたは3速AT,グレーインテリアまたはブラックインテリアのものがありました.ステンレスパネルではなく,塗装を施したものもありますが,それらはユーザーが処理を施したもの(パネルについてしまう指紋の跡を目立たなくするためとか傷隠しのためです)で,工場出荷時はすべてステンレスパネルでした.そして81年モデルの最後を締めくくっているのが2台の純金パネルを装備した車.現在もネバダ州リノのNational Auto Museumとテキサス州のSnyder Bankに展示されていたのですが,テキサスのものは最近撤去されたとか.純金パネルのものは1台250,000ドル以上とか.翌1982年モデルは1100台,83年モデルは900台ほど生産されています.一番最後に製造された車もまた純金パネルでした.しかしこれは展示用ではなく抽選で一般の方の手にわたりました.その車を最後にデロリアンは生産されていません.総生産台数は約8500台です.

会社のその後

BTTF DeLorean

どうしてデロリアンは1983年モデルまでしかないのかというと,車自体の品質があまりよくなかったこと,誘致したイギリスからの援助が得られなくなったこと,そして社長であるデロリアン氏が麻薬のおとり捜査により逮捕されてしまったからです.その後の生産計画はすべてストップし工場は閉鎖され,DMCは倒産となりました.一番最後の世間に出回る車が作られたのは1982年12月24日でしたが,それは既に工場が閉鎖されたあとのこと.工場に残ったパーツなどで最後に作り上げられた4台が一般向けの最後でした.しかし,会社が倒産しても暗いニュースばかりではありませんでした.ハリウッドではこの車を使って撮影された映画が公開を間近に控えていました.そして1985年,バック・トゥ・ザ・フューチャーが全米で大ヒットしている頃,デロリアン氏の無罪が確定しました.

次なる夢

John Z. DeLorean

バック・トゥ・ザ・フューチャーは3部作となり大ヒットをおさめました.この映画のヒットでアメリカだけではなく世界中にデロリアンが知れ渡ることになります.DMCは後継会社に引き継がれましたが,工場に残っていた金型などは復活を恐れた人たちによって海に捨てられました.それでも部品供給は続けられています.デロリアン氏にはニューモデルの構想がありました.2ドア・2シーター,60mph到達が3.5秒で,価格は$17,500程度のものを考えていた模様です.結局この次なる夢は実現することなく,2005年3月19日に脳卒中に伴う合併症のため80歳でこの世を去りました.